ザ・ドリフターズの歴史だよ!全員集合!!
ドリフターズの分裂 1964年
碇矢長一(故・いかりや長介)のワンマン体制に不満を募らせた
(小野ヤスシ、ジャイアント吉田、飯塚文雄、猪熊虎五郎 )
加藤英文(現・加藤茶)が脱退を申し出た。
小野ヤスシたちは密かに「ドンキー・カルテット」を結成する。
碇矢長一(故・いかりや長介)のワンマン体制に不満を募らせた
(小野ヤスシ、ジャイアント吉田、飯塚文雄、猪熊虎五郎 )
加藤英文(現・加藤茶)が脱退を申し出た。
小野ヤスシたちは密かに「ドンキー・カルテット」を結成する。
正式脱退していないうちに仕事を
ブッキングすることに違和感を覚え出した
加藤英文とサックス担当の綱木文夫はドリフ残留を決めた。
ブッキングすることに違和感を覚え出した
加藤英文とサックス担当の綱木文夫はドリフ残留を決めた。
新生・ザ・ドリフターズ
碇矢長一は残りのメンバー探しに奔走し
「パップコーン」にいたギターの名手、高木友之助(現・高木ブー)と
メインヴォーカルもつとめていた、仲本興喜(故・仲本工事)
「クレージー・ウェスト」にいた、荒井安雄(故・荒井注)を引き抜きます。
碇矢長一は残りのメンバー探しに奔走し
「パップコーン」にいたギターの名手、高木友之助(現・高木ブー)と
メインヴォーカルもつとめていた、仲本興喜(故・仲本工事)
「クレージー・ウェスト」にいた、荒井安雄(故・荒井注)を引き抜きます。
おそらく左後ろの人が、サックス担当の綱木文夫だと思います。
1965年 サックスの綱木文夫が脱退。
トレードマークのめがねを、仲本興喜が
引き継いだのではないのでしょうか?
1965年 サックスの綱木文夫が脱退。
トレードマークのめがねを、仲本興喜が
引き継いだのではないのでしょうか?
こうして「ザ・ドリフターズ」は誕生しました。
加藤茶によれば
「長さん(いかりや)がね、荒井さんと同じ年のやつを入れようと思っていたのよ」
「豊岡豊とスウィング・フェイス」というバンドのリーダーで、名前は豊岡豊。
加藤はそれに反対した。
そこで、すわしんじ(現・すわ親治)と、付き人だった志村けんである。
志村を加入させた方がいいと、いかりやを強く説得したのだ。
「長さん(いかりや)がね、荒井さんと同じ年のやつを入れようと思っていたのよ」
「豊岡豊とスウィング・フェイス」というバンドのリーダーで、名前は豊岡豊。
加藤はそれに反対した。
そこで、すわしんじ(現・すわ親治)と、付き人だった志村けんである。
志村を加入させた方がいいと、いかりやを強く説得したのだ。